渡邊 駿WRITER / EDITOR ← ポートフォリオへ戻る

執筆サンプルについて。体験談エッセイの書き方をお見せするための執筆サンプルです。実在の人物・出来事ではなく、想定読者に寄り添うための創作です。記事の構成・本文はすべて渡邊が執筆しています。

体験談エッセイ /子育て・暮らし

「あの頃、私は必死だった」――子育てを振り返って気づく、暮らしの中の小さな真実

約1,450字一人称エッセイ執筆:渡邊 駿

リビングにたたみかけの洗濯物と絵本が置かれた様子

洗濯物をたたみながら、ふと手が止まることがあります。子どもの服が、もう小さくて着られなくなったこと。80cmのタグを見るたびに、ついこの間まで抱っこしていた重みを思い出して、少し胸がざわつくのです。

子育てを振り返って気づいたこと

必死だった日々は、いつも記憶が曖昧です

子どもが小さかった頃のことを思い出そうとしても、不思議と細かい記憶があまり残っていません。妻と交代で対応していた、夜中2時間おきの授乳や夜泣きも、離乳食を10種類近く試しては毎回拒否されて落ち込んだ日々も。ひとつひとつの出来事としてではなく、ただ「必死だった」という感覚だけが残っています。

きっと、あの頃は目の前のことをこなすだけで精一杯だったのだと思います。仕事から帰ってすぐ育児にバトンタッチする毎日で、振り返る余裕もなく、ただ乗り越えていた。スマホの写真フォルダを見返しても、生後半年から1歳になるまでの写真が数えるほどしかありません。後になって「もっとちゃんと見ておけばよかった」という気持ちが湧いてくるのは、そのためかもしれません。

小さくなった服が教えてくれること

子どもの小さな服を整理する様子

子どもの服を整理していると、いつのまにか着られなくなったものが次々に出てきます。60cm、70cm、80cmと、タグのサイズは着実に上がっていきました。この服を着ていた頃どんな顔をしていたか、思い出そうとしても、はっきりとは浮かびません。

それでも、その服を手に取った瞬間だけは、たしかにあの頃の空気を思い出すのです。よだれで黄ばんだ襟や、離乳食のシミが残ったままの袖口。忙しくて写真もあまり撮れていなかった時期の記憶が、こうして服を通してふと蘇ることがあります。暮らしの中には、こんなふうに気づかないうちに積み重なっていくものがあるのだと思います。

必死だったことは、無駄ではありませんでした

当時は余裕がなくて、うまくできていないことばかりだと感じていました。仕事終わりに夜泣きへ付き合いながら、明日の保育園の準備が終わっていない。そんな夜が何度もありました。けれど、今こうして子どもの成長を振り返ると、必死だったあの日々があったからこそ、今の暮らしがあるのだと分かります。

完璧にできていなくても、必死に向き合っていた時間そのものに意味があったのだと、今なら思えます。当時の自分に伝えられるなら、「それでよかったんだよ」と言ってあげたいです。

今日という日も、きっといつか同じように

子どもと穏やかに過ごす親子の様子

今、目の前で過ぎていく毎日も、きっと後から振り返れば「必死だった」の一言に収まってしまうのだと思います。せめて今日は、少しだけ立ち止まって子どもの顔を見ておきたいのです。

洗濯物をたたむ手を止めて、小さくなった80cmの服をもう一度そっと畳み直しました。

この記事について

子育て・暮らしジャンルにおける、一人称の体験談エッセイの執筆サンプルです。共感を軸にした構成・語り口で執筆しています。

同じ流れで、ご依頼のジャンル・トンマナに合わせた体験談記事を執筆します。

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